一部ニュースで報じられてはいるものの、その現場に住むモノとして今回のクーデターの経緯とその背後に潜むもの、マリだけではなく西アフリカの将来について思うことをつらつらと書いてみようと思う。
21日昼に北部地域の戦闘に関してデモが発生。
その集団が防衛大臣の対応に不服としてマリ国営放送局を占拠し、同日夜、関連勢力が大統領府を襲撃、大統領近衛兵との戦闘の末、22未明には大統領府の占領が完了し、クーデターが一応成功した、とのことのようです。
流れを見ていると突発的な行動のようにも見れますが、連動する形でガオ(北部地域の戦略拠点)の軍長官が追われていて、事前準備の有無や反抗勢力(クーデター側)の様子がまだ見えてきていません。
しかし彼らはTVでの声明発表の様子を見る限りまだ若く、一部ニュースでも青年将校とも称されています。軍幹部の腐敗に対する不満、というものもかなり高かったようです。
なぜ今か、というのは北部の戦争の緊張状態が極限に達した、というのが一つの答えだと思います。
そして、4月末の大統領選挙前に、民主的な選挙の実現を狙った、という可能性も捨て切れません。
ちなみにこの週末はムサトラオレ軍事政権(過去のクーデター政権)が倒れた日のようで、その辺も若干の関連があるのかもしれません。
そしてもう一つは突発的な、衝動的な行動。やはりこの可能性も捨て切れません。
ではつづきから、詳しく分析して将来を勝手に思ってみよう。
]]> 背景
反抗勢力は前述のように青年将校が中心となっている関係上、指導力や求心力に不安要素があるようです。
事実、TVで声明を発表しているメンバーを見ると、まだ若いことと漲る様な自信がないことが、不安をあおる一員となっているように感じられます。
そしてアフリカ連合やEUなどからは反抗勢力を認めない旨の声明が発表されている。
(個人的にはこういった内政干渉が余計現場を混乱させる原因となっている気がしているが)
こういったことが背景となって、一部兵士による商店への略奪が起き始めているようだ。反抗勢力が軍を掌握しきれていない。
既にクーデター成功、と報道されてから丸一日以上経つにもかかわらず、依然として街は銃声に満ち溢れている。
(ちょっと言い過ぎた。散発的に銃声が響き渡っている)
こうして私たち外国人はみな、自宅待機ということでおとなしく引っ込んでいるしかないのが現状です。
そして窓の外を窺いつつ、ネットでニュースを見るしかないのです。
しかし多くのニュースとして流れているが、不正確で誇大な情報が飛び交っていて、現場の人間としてはどうかとも思っています。
日本語ニュースはまだ少ないが、どうか情報に一喜一憂せず、現地の人間の言葉を聞いてほしい。
確かに銃声は響いています。が、不要な外出を避けて屋内にいる以上、現在の状況では身に危険はありません。短期的には正しい対処で対応できる問題です。そして、街中で市民は(ややおびえながらも)普通の日常生活を送っています。
反乱軍、と言われていますが、TVで演説しているのを見るかぎり、彼らは理性的で平和的な対応をとっています。無作為に市民を傷つけるというようなことは全く念頭にないと見れます。
武装蜂起という手段が絶対悪だ、と決め付ける前に、この国の現状をよくみて、政治家や政府高官、軍幹部といった権力者たちの振る舞いを見た上で状況を把握しようとすると、違った側面が見えてくると思います。
長期的に見ると数日、数週間後にまだ、何が起こるかわかりません。現在も多くの主要人物を集めて会議を開いている、との情報があります。
決して現状を油断しているわけでもなく、冷静な現状分析の元、ココに住むモノとしてのメッセージです。
どうか過剰な心配はしないでください。
昨年の北アフリカで起こったアラブの春の影響もあると思うが、それにしてもこの西アフリカ諸地域は、選挙の度に揉める。
コートジボワール、ニジェール、ブルキナファソ、セネガル、そしてマリ。少し離れてナイジェリアまでも本当に地域全体、選挙の度に問題が起き、内乱状態に陥っている気がするのだが、いったいそれはなぜか。
セネガルの状況を見ていると、有権者登録票が売りに出ている、情報が届いておらず有権者としてカウントされていない、教育が不足してそもそも選挙に興味がない、などがわかり易い問題だと思う。他にもさまざまな根深い要因の難しい問題はあるのだろうが。
結局のところ、権力者、富める者が弱者を搾取するモデルが大前提で、上が変わろうがそれは変わらない、という現実に市民が疲弊している、ということもあるようだ。
実際、マリ人ではこうして『上』に対する不満とあきらめが充満しており、しかしそれを解決するための手段もそれを考えるための頭も自分たちにはない、というのが大多数の意見。では勉強して学を身に着ければ、といったところで大学を出ても就職の口がない。そもそも学校での学習内容が充実しておらず、効果は薄い。結局のところ、教育の改革が必要だが、改革をする側は当の権力者側で既得権を守る観点からも遅々として改革は進まない。
究極的にはIT屋である私の視点としては、ITの普及による自発的な学習の浸透を期待したいところだ。
非常に多くのニュースサイトや周囲の情報を参考に書かせていただいておりますが、中でも日本語での詳細な情報源として、こちらのご紹介させていただきます。
西アフリカのマリ共和国でクーデターが起きている。(2012/3/22) =ニュースを読まねば=
]]>
まずはその大通りの解説から。
4車線相当の直線で、大河ニジェールを渡る橋の袂から、バマコ駅まで続いています。
一年前、マリに来た当初はまだブロックはありませんでしたが、現在は中央に分離ブロックが置かれ、
2車線相当ずつのレーンが二本、ズドン!と通っています。
その長さは約1.2キロ。まるで青山通りのような存在感です。
こちらが市街地の地図です。
より大きな地図で バマコの家と学校 を表示
中央の青紫の線が件の大通り。
左側に見える黄色い家が私の家。
右上の緑の家が、配属先の職業訓練校です。
私は毎朝この大通りまでソトラマ(乗り合いバス)に乗り、通りのど真ん中で乗換えを行い、学校まで出勤していました。
(後述のようにこの戦いの進展に伴い、通勤経路・バスの乗り換え場所も変わってしまいましたが)
以前も触れたと思いますが、車が人とすれすれ、というより掠りながら通行します。
車が偉いのです。が、人も負けてはおりません。車道に人々があふれ出し、路上を平然と歩きます。
さらにその両者の隙間を縫って、バイクがクラクションと共に駆け抜けます。
その青山通り(仮にこう呼びましょう)、路上にもかかわらず自分の商品を所狭しと並べる露天商の天国でした。
街どころか、国一番の目抜き通り。一大マルシェ(市場のこと)だったのです。
ところがマルシェは不法な露天の集合体の上、道路は市街地の中央を走る主要な幹線道路。
ここが占領されていては、ただでさえ渋滞に頭を悩ます国にとっては大問題。
しかも、ソトラマと呼ばれる乗り合いバスが客を乗せるために停まり、道路を封鎖してしまいます。
おそらく長きに渡って繰り返されてきたのであろうこの道路を巡る争い。
道路を拡幅しては占領され、舗装しては占領され、レーンを分離しては占領され。。。
ここでわかりやすく、常に先手に立つ警察(役所・国)側の攻撃をリストしてみましょう。
国側の攻撃(というか守備?)一覧:
すごいですね。これだけの対策をして、なおそれを打ち破る市民の力。
それは露天で生計を立てている人もいて、生活がかかっているのだからわかる気もしますが、、、
この露天、大体場所によって同じような商品を販売しているエリアがまとまっています。隣同士同じ商品を同じ値段で販売して、商売になっているのでしょうか。
それから明らかに売り子の方が多く、おそらく一日に数点しか売れていないと思うのですが、それでいいのでしょうか。
また、毎日毎日朝8時くらいに全ての商品を持参して、おもむろに広げ始めます。この労力は半端無いと感じるのですが恐るべき気力です。
そしてこれらの商品の品数がなかなか多いこと。仕入れ値を考えたら相当な金額となるだろうに、一体どうやって商売を開始しているのか。
などなど謎は尽きません。
さて、最後に地図でも文章で書いてもイメージが湧きにくい所があるかと思いますので、動画もご覧ください。
※この動画は自転車で世界一周をされている責自さんが、
GoProというコンパクトなカメラを自転車に搭載して撮影されました。
こんな現場です。
上の動画は昨年5月のもの。攻撃の段階としては分離ブロック、柵、再舗装、交差点に警官と信号の後になります。
路上のごみの多さも注目ですね。もう見慣れてしまってなんとも思わない自分が問題です。
この後、軍隊と警察の連合軍が戦時中かのように物々しく配置され、路上を歩行する通行人に対し厳しく指導。
さらになんと国側はソトラマ専用のバスロータリーのようなものを少し離れた駅の向こう側に配置したのです。
この連続作戦が功を奏したのか、今現在(2012年1月)、この大通りは大分落ち着きが生まれ、整然と自動車が行き交っています。
おそらくほんのひと時の静寂だとは思いますが、、、
しかしすでに配置されている軍や警察はダレ始め人々は平然と路上を歩き、徐々に商品が道路上に迫り出している。いつまでこの状態がもつのか見物です。
ちなみに新たに作られたバスロータリーの周辺は、早くも新たな市場として賑わい始めています。
今回はそんな日常の、市民の生活に一番近い目線から街の様子を見てみました。
でわ。
]]>前回はインターネットを使って時給500円の仕事が出来れば、この開発途上国においては大金持ち(とまでは行きませんね。実際は小金持ちです)に成れる、というところまで行きました。
その方法とは、
マーケットプレイス、というネット上でのお仕事情報交換サイトを利用するのです。
簡単で当たり前すぎる答えですね。
日本でもネットバブルがもてはやされた10年ちょっと前から、楽天ビジネスなどビジネスマッチングサイトがありました。
もはやフリーランスやSOHO、小規模事業体にとっては当たり前のサービスとなっている感もあります。が、国や言語が違えば常識が変わる、という事で開発途上国から国を超えてこういったサイトを利用してお金を稼ぐという発想はなかなか出てきません。しかも、途上国側からすればそんなことが出来る、という情報もありませんし想像も出来ないものなのです。
Freelancer.com(英語)
http://www.freelancer.com/
Freelance.com(仏語・英語)
http://www.freelance.com/
他にもamazonのサービスとかたくさんあると思いますが、とりあえずよさそうなモノを代表に二つ、上げてみました。開発途上国の多いアフリカ、そのほとんどの国では英語もしくはフランス語が通じますので、だいたい使えるのではないかと思っています。
これらのサイトには文字起こし、記事作成、Webリサーチ、画像編集、翻訳などの比較的簡易な労働も多く登録されています。もちろん個々の技能や速度によっても稼ぎは当然変わってきますが、途上国での稼ぎとして考えると、十分生活に足るレベルが稼げると思います。
他にもプログラミングやらweb制作、システム構築、情報提供など、多種多様な仕事が登録されています。これらはPCを学びながら徐々に高収入な仕事にシフトすることも可能だということを示しています。
私が実際にこの途上国で仕事をしていて感じることは、PCやネットというのは、完全に個の意欲次第で自由にその能力を伸ばすことができる、要するにそれだけデキる技術者が途上国にもいる、ということです。
学ぶことや労働の条件としてはまったく先進諸国と変わることがない対等な立場でありながら、その対価としての賃金は生活コストから考えると割の良い仕事となる、ということにただ気づくだけのことが、実はこの国で所得を向上させる一番重要なことだったのかもしれません。
もっとも、必ず必要となるものとしてネット回線と国際送金可能な銀行口座、電気とパソコンと最低限の知識と技術があります。電気(とその安定)はインフラの問題として国の政策などにも大いに影響されますし、ネット回線と国際送金可能な銀行口座は一般的な市民としてはまだまだ敷居が高いのかもしれませんが。
ということで、これらのサービスをただ紹介するだけでは、労働意欲の低い人々に動機付けできるかどうか、おそらく難しいように感じます。
そこで途上国援助系のNGOや企業がこの取りまとめを行なうといいのでは、と言うことまで提案しておきます。(人任せな提案ではありますが)
視点を変えればこれは、一種のフェアトレード、労働のフェアトレードと言う考え方ができるかもしれませんね。
ちなみに途上国には世界中の先進各国からさまざまな支援・援助物資が届きます。しかし、これらはごく限られた一部の富裕層・既得権益層が各自の利益として転売したり横領したりして、一般の市民にはほとんどそのメリットは享受されません。
生活者の一人として、これらの実態や援助「ビジネス」と言われるものに負のイメージを持たざるを得ないのも悲しい現実ですが、だからこそこういった正しく個人が稼げるモデルと言うものをキチンと途上国の市民にダイレクトに提案していきたい、と考えています。
そう、もし本気で開発途上国を底上げしたいのであれば、ベトナムのことわざだか中国の故事だかと言われている言葉、
魚を与えるのではなく釣り方を教えろ
を忘れてはならないのだと思います。この言葉は使い古されていていまさら感はありますが。
でわ。
]]>開発途上国と言いましたが、私は西アフリカの内陸国マリにしか住んだことがありませんので、あくまで彼の地における経験(現在進行中ですが)を基にひとつの所得向上のためのアイディアを提案したいと思います。
私は現在PCインストラクターという職業で協力隊として派遣されておりますが、この仕事における究極的な使命は、派遣国におけるITリテラシー(情報技術に関する理解度)の向上だと考えております。しかし現実には、配属先として職業訓練校(高校生や大学生に相当)において、教職員を中心にワードやエクセルなどのオフィス製品の使い方、それも初歩の初歩を教えている、そのためのマニュアルを提供しているといった活動を行っております。従って、マリという国全体に対するITリテラシー向上のホンの入り口の一部分をお手伝いしているに過ぎないのです。
さて、開発途上国共通の問題として、富の偏り(直接的に言うと貧富の差)が顕著であり、それにあわせて人間開発(主に教育)にも非常な格差が生じているということがあります。私はこの教育格差に関しては、ITの力で幾分か改善できる余地があるのではないか、と信じています。
]]> それはインターネットを活用すること。
何もそんな当たり前のことを強調して書かなくてもいいのでは、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、意外と重要なことなのです。
昔はラジオ、TVで新しい知識が入ってきた。それが今度はインターネットに変わる。
そう、アフリカの内陸国においてもインターネットはそこそこの速度で利用できるのです。(ISDN<アフリカ<ADSLくらいのスピードでしょうか)
インターネットのボーダーレスな情報に触れることは、飛躍的に知識の収集が進むことになり、それに伴い個々の人間開発の自発的な発展へと繋がっていくのではないか、と考えられます。TVやラジオと違い、自分で情報を取捨選択することが出来、欲すれば相当のレベルの専門知識まで習得できてしまうのです。
ある人が言いました。
この国には途中・経過が無い。バイクや車も、電子機器も、色々な物が自分たちで作るではなく、完成した形で、その仕組みもよく理解できない状態で入ってきたんだ。
自分たちで作り上げた文明ではないので、ただ入ってきたそれらを消費することしか出来ない。新たに生み出したり、改善したりといった付加価値を付与することは、想像だにしないことである、という事なんです。だからその途中経過を何とかして埋めなくてはいけない。それがインターネットによって(低コストで)可能になる。
そう、もったいないんです。ネットの使い方としてFacebookばっかりをやっているのは。
ある日本に住んでいるマリ人はこういいました。
携帯もネットも、高すぎる。どちらもフランスの会社に搾取されているだけだ。
そのとおりだと思います。それならネットを利用して、いっそのこと稼いでやればよいのではないでしょうか?
インターネットを活用してその中だけでお金を稼ぐ、という発想は大分昔からあったことだと思います。すでにいろいろなモデルも提示されています。地理的な不利が無くなり、途上国であることがメリットとなる。通貨価値が違うんですね。セーファー(cfa)の国でユーロ(eur)を稼ぐ。これは非常に大きなメリットとなります。
インターネットを使うのに、1時間300cfaくらい。それは固定相場で0.5eur(≒50円)ほど。
たとえば時給5eur(≒500円)の仕事をすれば、利益は4.5eurという事は2700cfa。
単純計算で月200時間の労働で54万cfa。この国では月5万cfaで働いているヒトがたくさんいることを考えると、、、
(※インターネット利用環境や月の収入、生活にかかるコストなどは都市部でイメージしています)
今、自分で計算して驚きました。大金持ちですね(^^ゞ
余計なことばかり書いて、肝心の方法論まで至っていませんね。
文章が長くなってしまいましたので、具体的なアクションプランはこの次に示すことにします。
机上の空論だけではありませんよ。
きちんと上記を実現できる方法はあるのです。
でわ。
ぜんぜん訪問者なんていない、と思っていたら、
な、な、な、なんと!
270名以上の訪問者数(リピート含む)。
リピートを除く訪問者数は214名。
そんなにこのブログを読んでくれそうなお友達の数はいないと思うのですが。
びっくりしました。
投稿数が減っていることを反省。さらに解析を続けると、、、
]]> アフリカはおろか、南北アメリカやヨーロッパと世界中からアクセスが。
意外です。
見てもらっているんですね。
(ま、もっとも国によっては確実にあいつだな、って言うところもあるのですがw)
そして滞在時間も平均して1分半と、あぁ、記事をちゃんと読んでもらっているのだな、と。
それにしても私はスマートフォン向けのサイトの修正をサボっていたので、
iPhoneからのアクセス数の多さに焦りました。
ごめんなさい。修正します。近いうちに、、、
そんなわけでモチベーションがまたすこーし上がりましたので、アウトプットしていきたいと思います。
少しずつでも投稿を続けていこうと心に誓ったのでした。
やはり旅をするのとその地で生活をするのとは大きく違い、本当にいろいろなことが現地人の視点で見えるようになるものです。
現地の生活者の目線でこの件についていろいろと考え、周囲のマリ人とも話していました。ちょうどそんな時、こんな意見を持っている人のブログを発見しました。
アフリカが発展しない理由(2010/02/07) =Chikirinの日記=
少し刺激的な考え方かもしれませんが、こうした考え方もある、という事。
この方、アフリカに住んだことがあるのかはわかりませんが、非常にクリティカルで斬新なアイディアをお持ちだ、と感心しました。
なぜ日本は戦後、あれほどまでに急速に発展し、アフリカは独立から50年以上経っても発展していないのか。
タンガラの答えはこうでした。
アフリカ人は真面目じゃないんだ。みんな働かないし、その日暮しなんだ
で、私はなぜほんの少し働けば生活が楽になるのにそうしないのか、と聞いたら、
政府が悪い。どんなに働いても、政府がみんな"お金を食べてしまう”
笑、なるほど、そのとおりなんだろう。以前こちらの記事 アフリカの政治的な利権構造の話し(2011/08/11) でも触れた、アフリカ貧困国の特権階級。(2011/06/05) =Tokyo Life= にもありました。
特権階級の人たちは、社会の民主化が進み経済が自由化されると自分たちの特権・地位が危ないので、たとえそれが自国の発展を妨げ国民が貧窮することになる政策であっても、それを支持することさえ、ままあります。表向きは経済発展、開発が重要と主張し、自分が利権を持つ企業が利益を拡大できる場合は積極的に推進するのですが、自身の利益に反することは、たとえ経済発展に必須な政策であっても、「国家主権の問題」というようなもっともらしい理由をつけて、厚顔無恥にも反対するのです。
そして昨日夕飯を共にしたコートジボワール人もやはり同様に言うのです。政府が悪い、と。
もっとも、この人は日本の関税が高すぎて、牛乳を日本に輸出できない、日本の政府も悪いと言うようなことも言っていました。が、日本人にとって牛乳は卵に似た生鮮食品的ポジション、輸出入するコーラの様な工場で作られる飲み物とは違うので、少し考え方の違いがあるようですが。
市井のアフリカ人も、アフリカにいる日本人も、ましてやアフリカに関心のある日本人ですらも、同様に感じているようなのです。
つまり、アフリカを発展させる方法は、、、
この間にあった出来事一覧(それぞれ記事書きます。)
他にも個人的にはたーくさん作業的なことがありまして、、、忙しく暮らしておりました。
皆さんご心配の私の体調はと言いますと、、、
低空飛行!低空ながらもしっかりと飛んでいます。大丈夫です!!
・・・いろいろありすぎて難しいですね。
近頃は暑くなっています。とっても。
日中(体感)気温は40℃くらいいってます。
(実際の温度計ベースでは37℃くらいが最高ですが、バスの中などはもっと高いのです)
で、最近寝れてないんですね。暑くて。
扇風機(天井についてる、いわゆるシーリングファンというやつ)を回して寝るのですが、
朝起きると身体が重いわのどが痛いわで、体調悪化の元。
でもそれをつけないで寝ると、汗だくで3時間ほどで起きてしまう。
なわけで相変わらず低調な体調が続いているのです。
それでもブログのネタはため続け、ストックは膨大に。
いつ整理してお出しするか、、、何気に一記事書くのに数時間かけているのです。。。
この国の暑さは、やる気、というものをすべて持っていきます。
マリがなかなか発展しないことも容易に頷けます。というより、当たり前です。
時々日本の仲間と絡もうと何か連絡を取り合っても、こちらが反応が鈍くなり、
立ち消えになることも多々、、、ごめんなさい。ホント、やる気が出ないんです。
それでも最近来た新隊員を見ていると、自分も大分、マリに順応してきたなぁ、と思ってしまいます。
もっとも、やる気が出ないところが似てきたのかもしれませんがw
そんなわけで今この瞬間、多少モチベーションが高いので、
今朝書き留めた最新のマリペディアを完成に向けて編集してみようと思います。
ところが。
こうして四季のない国に暮らして約一年。そのことの意味について色々と思います。
旅行では感じられなかった、一年間、という単位を通してみた季節感。
今回はマリの気候、天気や気温などについて考えてみたいと思います。
日本の方のために、このマリの気温が分かる天気予報をブログの右のほうにつけてみています。
時々マリは今どんな気候かをみていただけると、この国を理解する一助になるかもと思っています。
季節は雨季と乾季。6から10月くらいまでが大体雨季でそれ以外が乾季。
雨季にはほぼ毎日雨が降り、乾季は逆にその期間中ずっと雨が降らない。
雨季の雨はとてつもなく強く激しい集中豪雨と、日本の梅雨ようにしとしと長く降る雨とあり、気温は30℃前後、雨が降っていないときは35℃くらいから、雨が降ると25℃くらいまでと幅があり、湿度が100%近いのではないかと感じるほどじめじめしている。
乾季は逆にからっからで、特に4、5月は気温が当たり前のように35℃以上、時には45℃以上という暑さ。
直射日光の下で、ソトラマの中で、汗が止まらずに常に倒れそうなくらいです。
空気は砂埃が舞い、自動車の排気ガスに汚れ、外から戻ると顔が真っ黒になります。
こうして長く生活をしていると、この気温と二つの季節、これがマリの文化の基礎になっていることを感じます。
まず年間を通して平均的に気温が高いこと。
これにより、あまり働きません。というより暑くて働けません。特に昼間は。だから活動時間帯は早朝と深夜に広がり、昼間は木陰で昼寝をしている人が多くいます。(尤も、現在はエアコンが普及し始め、徐々に昼間の仕事も増えているようですが、長い間の文化はそう簡単には変わらないようです)
さらに年間を通してずっと気温が高い、ということは洋服の必要が薄く、衣服の種類も発展しませんし、経済的にも冬服が売れるということがないため、消費の、経済が回転するチャンスが一回少なくなっている気がします。(しかし洋服に関しては派手さや綺麗さといった面で世界中で類を見ないほど発展していると思います)
しかもある程度雨も降ることからマンゴーなどの作物が意外に豊富で、一生懸命働いてやっと食いつないで生きていく、というのとは少し違うと感じます。だから仕事に対する一生懸命さにかけるのかもしれません。
逆にこうしたのんびりとした時間がたくさんあるところから、音楽やダンスなどの文化的な側面が大きく発展をしたのかもしれません。
そして暑いこと。
これで人々は脳の細胞を大分失います。(すみません、勝手な推論です)
参考までに私は、このマリに一年近く住み、おそらく脳が1/3くらい死にました。もう頭が思うように働きません。。。
色々な物事が適当に処理され、「あぁ、なんて日本人は几帳面なんだ」と、いつまでたっても思い知らされます。
あまりにも暑くて、実際私も4~5月の記憶がおぼろげとしているくらいです。
こんな厳しい環境だから、イスラム教も普及しました。(具体的には分かりませんが、こういった苛酷な環境下の地域でイスラム教は強いようです)
ついでにこの国には地震がないので、建築の技術が日本とはまったく発想が違います。
建物は日干し煉瓦を積み重ねて屋根を置いただけのもので、非常に簡易、適当。日本のミリ単位で行う建築とは180度異なった世界観です。まぁ、この点に関してはまた、別の機会に詳しく触れたいと思います。
そんなわけで、この国の人々の性格、考え方、文化を理解する上で、気候的なバックグラウンドは把握しておく必要があるように感じました。自然が作り出す環境下にいて初めて育つ文化なので、当然といってはそれまでかもしれませんが、最近やっと気づけたことです。
ちなみに8月12日現在のマリは、雨季の真っ只中。
湿度は高いが気温も高いため洗濯物は乾きますが、、、
日に一度くらいある集中豪雨の強力さには閉口します。まるで毎日がゲリラ豪雨。道端の看板も木も、倒れることもしばしば。
やはり苛酷な環境なんだなぁ、と荒れ狂う雷、雨、風を窓の外を見ながら思いました。
何を優先するか、その一点で価値観というものが如実に現れます。
当然、大事にしているモノやコトは優先されます。
一方、大事にしていないというよりもマリ人の場合最初から念頭にない、
もしくはそういった概念がないというものに関して優先順位が下がっているように見受けられます。
これらの価値観は宗教にも多大な影響を受けているものと考えられますが、
その辺も少し考慮に入れながら、私なりの観察と考察を行ってみました。ご覧ください。
これは比較的多くの国で一般的に見られるもので、私たち日本人としても非常になじみやすい考え方ではあります。が、近年の日本における若干ないがしろにされているお年寄り・年長者のことを思うと、この国は儒教の国韓国同様、非常に丁重に扱われているように見えます。一方子供は他所の子でも関係なく、あごで使います。普通に用事や手伝いを言いつけ、子供も当然のようにそれを行います。それが当たり前の優先順位。日本にはもうなくなってきたものが、ここにはまだ、あります。
そしてやはりこの問題。
男性>女性
やはり男尊女卑という考え方のベースがあるようです。仕事の場や家庭内での仕事の分担などにも、男性上位の考え方が見られます。女性は日がな一日、掃除をし、食事を作り、洗濯をしています。これらは子供も手伝います。人が集まると、男性に椅子を勧め、女子供は遠慮します。ところが近年では女性・子供・家族促進省という省庁があったり、職場でも女性の上位職が多く見られたりと、多くの変革・地位向上が試みられているようです。
でも実際は、、、家庭内では女性のほうが圧倒的に強い、というのはどの国でも同じなのでしょうか?おばさんは町でも力強く、建前上の男尊女卑はどこへやら、誰よりも大手を振って生活しています。基本的に男性陣はこのおば様方には逆らいません。マシンガンのように文句を言われて言い返せない男性は、これまた世界共通なのではないか、と思ってしまいます。
これはモノの話ではありません。
自分の車>相手の車
道路での優先順位。基本的にはほんの少しでも自分が先に行く。狭い道路で左右に広がり、無理やり二車線になって追い越していく。邪魔なものにはクラクションだ。それが人であれ車であれお構い無しに。ところが道路を渡ろうとしているとおもむろに道をゆずってくれるドライバーもいたり、正直どこに基準があるのか掴みきれていません。
ただ、印象としてはデカイ者が強い、といったところです。そして優先順位の決定権も、やはりデカイ者が持っているような気がします。
当たり前といえば当たり前ですが。
先生>生徒
以前にも少し書きましたが、先生は生徒に比べ年配であることもあり、当然優先されます。先生にあごで使われ、たとえ授業中であれお使いを頼まれる生徒もいたり、あまり親しくなりすぎてはいけないラインのようなものがあります。生徒は先生から信用されておらず、一方生徒も先生に対して線を引いている。これは私の勤める職業訓練校ならではのことなのでしょうか?
こちらも当たり前ですね。
友人・知人>他人
ただ、この概念が私達日本人とは大分違うように感じます。なぜならマリは多民族国家。他人が信用できないのは民族が違う可能性もあり、それぞれの考え方や教育などのバックグラウンドが違うため、より大きくこの優先順位に差がつくのかもしれません。
友人であれば当然のようにいろんなことを無償で手伝います。しかし他人はお金を先に出すくらいでないとなかなか仕事も進みませんし、信用もしていないからあいつらに近づくな、財布はしっかりと持って鞄にも気をつけて、とその信用の低さは半端ありません。
如何でしょうか。
ある意味では日本と比較した場合に昭和中期までの日本の印象が近いかもしれません。もちろん私はその時代に生きていませんが、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の世界観ですね。TVも街角にあるものにみんなが群がり、一緒にサッカー観戦をする、というところなども。
今日本では、何が優先されているのでしょうか。
ふっと思うと優先も何も無く、そこには他人・他者に対して無関心な社会があるような気がします。
遠くマリから思う、日本人の価値観ってなんて人間味が無いのだろうか、と。
で今回はアフリカ貧困国における政治にまつわる話です。
といっても私の文章ではなく、下記の記事をご紹介させていただきます。
アフリカ貧困国の特権階級。(2011/06/05) =Tokyo Life=
]]> まずはこのブログの主、Kenさん(私と同じニックネームです^^;)という方の簡単なプロフィールから。出身は博多。22才からの17年間で民間企業3つ、公的機関4つ、大学院2つを渡り歩く。起業の才能はなさそう。気がつけば30代は海外生活の方が長くなってて、 それも割とマイナーな途上国ばかりです。今はアフリカで仕事してますよ。(2011年5月)
とのこと、国際協力に関係する仕事をされているのかな、と勝手に想像しています。
個人的な知り合いでもなんでもなく、とあるブログニュースサイトに寄稿されていたのを拝見したのがきっかけでした。
ブログの主な内容は、主にアフリカに対する国際援助などについての考察が最近は多く見られます。
そしてこの今回ご紹介させていただいている記事では、
アフリカに対する一般的な日本人の描いているイメージと現状その違い。
同地域の富裕層(=特権階級)とその彼らの考え方。
なぜこれらの国々がいつまでたっても豊かになりきらないかの考察。
を、非常に的確に説明されていて、西アフリカ1年生の私としては非常に納得のいく解釈を提供していただきました。
あえて引用はいたしませんので、ぜひ元記事をご覧ください。
もちろん私には私の視点での問題点、というものも見ています。それらは(既出も含め)マリペディアを通して少しずつご紹介していけたらと考えております。不定期投稿となりますが、今後も時々訪問していただけると幸いです。
最後になりますが、Ken氏のブログ=Tokyo Life=には非常に興味深い内容が多くありますので、随時私の意見を沿える形で記事毎にご紹介させていただきたいと思っています。
皆様のご意見も、随時お待ちしております。よろしくお願いいたします。
1)まだ病院にいます
2)現金を盗まれました
3)むちゃくちゃ蚊に刺されます
]]> 1)まだ病院にいます詳しくは書きませんが、とても多くの方の手を煩わせ、多大なるご迷惑をおかけしています。関係者の皆様、大変申し訳ございません。
しかしながら、JICAの万全なサポート体制に守られているのだ、という事を改めて認識いたしました。ありがとうございます。
さて、既に入院7日目となってしまいました。
相変わらず食事はおもーたいモノが届くのですが、スープも用意してくれるようになりました。ただし毎回おんなじポタージュ系のこれまた重ためのスープですが。
少しこれが飲めるのでまだ良くなって来ました。
PCはある(ネットに関しては後述)ので一応時間は潰せていますし、体調も入院当初からほとんど変わっておらず、すこーしずつ上向いている感じはありますので、そんなに問題はありませんが。
いかんせん、体調が著しく快復しない、という事が大きな問題でしょうか。昨日はだいぶ、調子も良く食欲も出て来て少し食べれる様になった(正しくは食欲はずっとあるのですが、吐き気が有った)し、とりあえず退院できる空気でしたが、諸般の事由により退院は翌日に延期。一日下痢が止まったと思っていたのですが、夜になってまだ続いている事が確認された。これは単純に(止瀉)薬が効いていただけ、という事だったようです。
かろうじて流動食が食べられるようになって来ているので、今日こそは退院して、自宅療養としたいものです。
2)現金を盗まれました
ココはマリで、油断をしてはいけない、という事をすっかりと忘れてしまっていました。というより、そんな余裕、なかったんですが。
カバンに無造作に入れていた財布から、綺麗さっぱり、お札が抜き取られていました。
(たぶん)残念な事に恐らく、ちょうど前回このブログを更新するために部屋を出ている時に、です。この病院、インターネットが使えると聞いていたのですが、病室では使えず。部屋の外で無線を捕まえなければいけません。
で一日に一回くらい、iPhoneをつなぎに行くのですが、恐らくその間だと思います。
この病院、人の病室への出入りが激しく、また私服の人(医者や看護師など)も様子見などで出入りします。文化的な背景から、ただ挨拶のためだけの訪問もザラにあります。
そういった理由から、セキュリティが悪く、油断してはいけなかったのですが、、、それでもこの病院は、外人向けの非常に診察料の高い病院のはずなんですけどね。
気付いて以降、出入りする人を疑うようになってしまい、なんだか悲しいです。
まぁ、iPhoneが取られていないだけ、良かったかも、、、
3)むちゃくちゃ蚊に刺されます
昨晩撃墜した蚊の数、10以上。私の左腕は刺され痕でぼっこボコ。人生で一番蚊に刺されたんではないでしょうか。
数日前も一晩で10個所ほどヤられました。
昨夜は、たぶん今日退院になるからと、数匹の蚊を我慢しながら戦っていましたが、どこから湧いて出て来るのか、いくら殺してもキリがなく、明け方まで格闘してしまいました。
挙げ句の果てに、左手の甲に刺さっている点滴用の針を毛布に引っ掛けて、抜いてしまいました( ̄◇ ̄;)
まったく。
ココはマラリアの治療もする病院のはずて、入院患者が病院でマラリアに感染する、とか、あり得ないと思うんですけど。
おかげで今日は寝不足です。尤も、療養中なので今日は一日中寝てるだけですが。
そんなわけで、一週間に及ぶ入院生活、いよいよ今日で終わりの予定。まだ完治ではないものの、とりあえず家に帰りたい。。。
]]>症状はまず腹痛。胃から腸にかけて、直接握られている様な痛み。それから下痢。ダイレクト感あふれる直通便。そして吐き気から来る食欲不振。当初はこれに加えて、38度近い微熱。
現状(6/4早朝)はわずかな腹痛、出ない下痢、吐き気、ダルさ。はっきりいって、改善は見られず。熱は下がった様ですが。
]]> 診察では問診と触診で(時間外であるにも拘わらず笑顔で対応していただきありがとうございます。)直ぐに入院が決定。元々はありきたりな腹痛で、薬を飲めばすぐに回復すると考えていただけに多少戸惑いながらも、まぁ病院経営もビジネスだし、と割り切る。それにしても入院中の食事が酷い。こちら食欲不振でかつお腹を壊している患者であるにも拘わらず、これでもかと出て来る脂っこくて少し豪華なマリ食を中心とした一般メニュー。近くのホテルから取り寄せてると聞いていますが、病院食など微塵も検討されていない食事を前に、お腹が空いても吐き気で食べられない患者の事、考えた事はないんでしょう。
挙げ句の果てに、
食べなきゃよくならないよ!
いや、無理ですから。
食べれそうなものを提供してください。そもそも食べれてれば帰りますし。
で、原点にもどって何が悪かったのか推測してみると、30日昼に食べたオニオンスライス(玉ねぎを水に晒し醤油をかけたもの)か、水洗いしただけのレタス(この国では塩素での消毒を指導されていたにも関わらず、それを怠った)のどちらかではないかな、と。
そもそもその他のメニュー、食事は常に誰かと共にしていたわけで、一人で食べたのはそれくらい。要するに不注意が原因と考えられます。ご迷惑をおかけした皆様、すみませんでした。
しかしこの病院、明らかに前回(半年前に3日間、熱中症脱水症状で入院)と比べてサービスが向上してます。
毎日のシーツ交換と掃除、医者の定期回診など。こういった目覚ましい進歩を見るのは、途上国ならではの楽しみではないでしょうか。
さてここまで書いて来て、気付いた人もいるかもしれません。
実はまともに原因追求のための検査をしていないのです。血液検査を最初に二回だけやりましたが、結果は脱水症状になりかけ。それだけで異常なし。お腹壊しているのに、便を取らないなんて!それで何も悪いところがないから、食事をしっかり摂ってくださいねって、明らかに症状としてお腹が痛いんですけど。。。悪いところはアルでしよ?(^^;;
この間ずっと点滴を挿れられているわけですが、点滴されているものは主に生理食塩水と抗生物質。病原菌を特定もせずに、ひたすら抗生物質。素人でもわかると思いますが、これは違いませんか?
どうせすぐ帰れる、治るとタカをくくっていたので、のんびり言われるがままに点滴を受け続けていましたが、これだけ状況が改善しない今、せめて検便くらいはお願いしようかしら。でも自己診断(参考:家庭の医学など)で疑っている何らかの食中毒は通常、一週間程で快復するとの事。もう五日目だし、もうちょっと様子をみるべきか。。。はぁ( ;´Д`)
という事で、マリの病院体験レポートでした。
]]>もともと、旅行は大好きで、月1回以上は仲間と旅行に行っていました(あぁ、温泉に入りたい、、、)が、一人旅、というものは馴染みがありませんでした。しかしこの、協力隊参加がきっかけで、私の仲間(中年海外協力隊w)が予行練習(?)にと、インドへの一人旅(バックパッカー)をプレゼントしてくれたのです!!
その旅の様子はまたそのうち、いつかきっと、ブログで書かせていただくつもりですが、兎にも角にも、その一ヶ月間のバックパッカーではじめて、一人旅というものを経験しました。道中、やはり何人かのバックパッカーとも出会い、このスタイルを多少理解するようになりました。
それはまったくの偶然から始まった出会いで、今我が家にチャリダーが三名、羽を休めています。
]]> 出会いは突然でした。私が愛読しているブログニュースサイト、GIGAZINE(ギガジン)に世界一周チャリダーの一人卓也さん(下記)が記事を投稿しており、ちょうどアフリカに入るあたりの記事を目にして、バマコにお越しの際はぜひお立ち寄りください、とメールを送ったことがきっかけで、我が家で少し休んでもらうことになりました。
当たり前ですが、面白いんです。
彼のブログや記事を見ていると、徐々に移動しています。旅をしているんですから、当たり前ですが。
少しずつマリに近づいてきて、写真も徐々に馴染みの光景に変わってきています。
メールでやり取りをしながら、道中出会ったチャリダーもご紹介いただき、三人がほぼ同じ時期にバマコに着くことになりました。
周藤卓也(しゅうとうたくや)さん http://shuutak.com/
三人の中では一番最初に我が家に到着しました。
ヨーロッパでは冬の寒い中を、西アフリカでは真夏の暑い中を走行中(>_<)
GIGAZINEに寄稿しながらの旅、我が家でたっぷりネットを使ってください!
最新記事:セネガルの首都ダカールで黒人奴隷の歴史が残る負の世界遺産ゴレ島に行って来ました(2011年04月16日)
林倫(はやしりん)さん http://blog.rinrinweb.com/
上記卓也さんが旅の途中で知り合ったチャリダー。
南米からずっと旅を続けています。
電話を持っておらず、予定の日の夜、もう来ないと思い寝床に着いたその時、、、リンさんは到着したのです!!
写真 https://picasaweb.google.com/rinrinweb
吉田責自(よしだせきじ)さん http://sekiji.net/
やはり上記卓也さんの知り合いで、途中、りんさんとペアランをしていました。
デジタル機器が大好きで、GPSを持って世界一周!
自身のWEBでは、走破経路のすべてをGoogleMapを使って表示しています。必見!
後述の餃子パーティの直前までかけて、100キロ近くを走って到着したばかり。休むまもなくパーティーでした<m(__)m>
チャリダーさんは基本一人旅です。
ですが途中、ペアランといって一緒になって走ることもあるようで、下記リンさんとセキジさんはしばらく一緒に走っていました。
ですがリンさん、暑さに耐えかねて途中で自転車を降り、車での移動で最後はバマコにやってきました^^;
それが数日前。
ばらばらに到着でしたが、全員が無事にたどり着きました。
しかしみんな、この先の予定が立てられない状態です。ニジェール、ブルキナファソ、コートジボワール、それぞれの理由で渡航が危険になっており、陸路での連続的な旅は容易ならざるものとなっています。
ですのでしばしの間、皆さんには我が家で休憩していただき、このあとのことをじっくりと考える時間となります。
そして昨夜、お疲れの旅人をもてなしてお土産話しを聞こうと、協力隊のメンバーで手作り餃子で簡単なパーティーを開かせていただきました。
←餃子の皮を手作り中
差し入れのフルーツにケーキと堪能して満足の状態→
同じような写真になってしまいましたが、微妙に窓の外の明かりが暗くなっていることから、時間の経過が見れますw
お疲れのところ、興味本位でいろいろとお話を伺いまして申し訳ありませんでした^^;
まだまだ、2週間ほど滞在していただけるようですので、ゆっくりといろんな写真やお話を聞かせてもらいます。
皆さん、あまり広い家ではありませんが、ゆっくりとおくつろぎください。
一言で言えば、『 喧 騒 』
そうウルサイのです。
特に音に関しては、物音を立てない、無駄に騒がない、など日本人的な美徳が強く反映されている部分だと感じました。
この国に来てからは。
実は最近、体調を崩して学校を休んでいたこともあり、昼間にずっと寝ていました。
そのせいもあって、比較的夜遅くや朝早く、といった時間に目が覚め、久しぶりの感覚に襲われたのです。
そう、この国に来てすぐ、3週間の現地語学訓練で電気も水道もない村にホームステイをしていたときの感覚でした。
小鳥のさえずり、鶏や野犬の鳴き声など、静かな空間に響き渡る動物の声。
懐かしくなって、音について思いを巡らせてみました。
]]> まず日常的な生活の音(※私の家はマンションです)これらは、本当にごく、ごく一部の音たちです。
決して恣意的なわけではなく、実際にうるさく、またそれに対して寛容な文化なのです。
若干、この音に関しては、ストレスを感じています。でも慣れるしか、仕方ないのですね。
夜も遅くまで騒がしいのは、昼が暑いから。つい先日は最高気温が47℃でした。
そんな中、昼間に活動的なことは自殺行為で、比較的ゆったりと日陰で過ごします。
従って、必然的に夜、活発に生活します。
しかしこの国にまだ慣れていない私は、夜は早めに寝るようにしています。
そのあたりのミスマッチもあり、冒頭のようについ、静かな時間帯に出会うと懐かしさを感じてしまうのです。
尤も今でこそ懐かしいという表現を使えますが、当時(6ヶ月前)はたったの3週間が恐ろしく永く感じ、まるで永遠にこの、電気水道のない世界で生きていくのか、と恐怖を感じたことは、ココだけの秘密にしておきます。
]]>「今日、日本のためのセレモニーがあるんだけど、行く?」
もちろん参加します。
聞くと参加予定の日本人は大使館から2名のみ。
それは日本のためのセレモニーなのに、行かないわけには行きませんし、そもそも、こちらでは特別なことがない限り、人から誘われたことには極力参加しています。
だから当然、二つ返事。
それはある地域が開催してくれる、ということのようで、(国を挙げてのような)公式なモノではありません。
が、予定としては、大統領夫人がスピーチをされる(かもしれない)となっておりました。
(ここは見栄っ張りのマリ人、当然割り引いて読み解く必要があります^^;)
しかしながらマリと日本の精神的な距離が遠く、世界中から日本に向けた震災支援の名乗りを上げた国の中に、我らがマリがなかったこと、残念に思っていたので素直に喜びました。
ありがたい事です。
※後に大統領がポケットマネーから義捐金(義援金とも書くが、こちらは当て字だそうです)を出してくれていた事がわかりました。
なにはともあれ、協力隊首都チームで参加させていただきました。
]]> しかし!!興味深いのはここからです。
もちろんセレモニーは日本に対して哀悼の意を捧げるものであり、日本のために開催してくれました。
(フランス語とバンバラ語両方で進行し、ニュアンスだけですが伝わりました)
日本に向けたメッセージを頂戴しました。
"ESPLANADE FUKUSHIMA"とありますが、調べても意味がわかりませんでした、が、こういった心のこもった贈り物が非常にうれしかったです。
(この国では、このように黒板が移動できるのです。水をつけたスポンジで拭き消します)
このセレモニーを開催してくれた団体は
『A.J.D.S?Association des Jeunes pour le Developpement de Same?』というアソシエーションだったわけですが、普段どんな活動をされている団体か、わかりませんでした。
ただ、式典には来年行われる大統領選挙に立候補するという方が出席されており、なんだかキナ臭い空気も、、、
残念ながら私はその場を目撃しませんでしたが、「この地域の子供たちに」と、結構な札束が手渡されていた、といいます。
(ここからは出席した日本人で話していた推測ですが)
どうやらこの式典、大統領候補のアピールの場としてうまく利用されたのではないか、と。
しかも式典後に隣の敷地に導かれ、なにやら説明を。
どうやらここ(下から2枚目の写真の右奥、塀の向こう側)は、半分くらい日本からの援助で作られた学校のようで、まだこれから、建て替えか新設かわかりませんでしたが、第二期、第三期のように予定されているようです。
要するに邪推すると、今回の件で日本が本案件から手を引かないように、つなぎとめる意味合いも有ったのではないか、と。
まぁそんなこともありながら、兎にも角にもこの西アフリカの国、マリに於いても、今回の日本の大震災(地震・津波・原発事故)はショッキングなニュースとして多くの耳目を集めています。
こうして地球の裏側といえるくらい日本から遠い国ではありますが、多くの市民が、私の同僚が、在マリ日本人が、日本の復興を祈っています。
Pray For Japan!
今、世界が日本のために。
がんばろう、日本