マリ人の価値観について、優先順位、という切り口で見ていきたいと思います。

何を優先するか、その一点で価値観というものが如実に現れます。

当然、大事にしているモノやコトは優先されます。
一方、大事にしていないというよりもマリ人の場合最初から念頭にない、
もしくはそういった概念がないというものに関して優先順位が下がっているように見受けられます。

これらの価値観は宗教にも多大な影響を受けているものと考えられますが、
その辺も少し考慮に入れながら、私なりの観察と考察を行ってみました。ご覧ください。


まずは年齢に関して。
年配>年下

これは比較的多くの国で一般的に見られるもので、私たち日本人としても非常になじみやすい考え方ではあります。が、近年の日本における若干ないがしろにされているお年寄り・年長者のことを思うと、この国は儒教の国韓国同様、非常に丁重に扱われているように見えます。一方子供は他所の子でも関係なく、あごで使います。普通に用事や手伝いを言いつけ、子供も当然のようにそれを行います。それが当たり前の優先順位。日本にはもうなくなってきたものが、ここにはまだ、あります。

そしてやはりこの問題。
男性>女性

やはり男尊女卑という考え方のベースがあるようです。仕事の場や家庭内での仕事の分担などにも、男性上位の考え方が見られます。女性は日がな一日、掃除をし、食事を作り、洗濯をしています。これらは子供も手伝います。人が集まると、男性に椅子を勧め、女子供は遠慮します。ところが近年では女性・子供・家族促進省という省庁があったり、職場でも女性の上位職が多く見られたりと、多くの変革・地位向上が試みられているようです。
でも実際は、、、家庭内では女性のほうが圧倒的に強い、というのはどの国でも同じなのでしょうか?おばさんは町でも力強く、建前上の男尊女卑はどこへやら、誰よりも大手を振って生活しています。基本的に男性陣はこのおば様方には逆らいません。マシンガンのように文句を言われて言い返せない男性は、これまた世界共通なのではないか、と思ってしまいます。

これはモノの話ではありません。
自分の車>相手の車

道路での優先順位。基本的にはほんの少しでも自分が先に行く。狭い道路で左右に広がり、無理やり二車線になって追い越していく。邪魔なものにはクラクションだ。それが人であれ車であれお構い無しに。ところが道路を渡ろうとしているとおもむろに道をゆずってくれるドライバーもいたり、正直どこに基準があるのか掴みきれていません。
ただ、印象としてはデカイ者が強い、といったところです。そして優先順位の決定権も、やはりデカイ者が持っているような気がします。

当たり前といえば当たり前ですが。
先生>生徒

以前にも少し書きましたが、先生は生徒に比べ年配であることもあり、当然優先されます。先生にあごで使われ、たとえ授業中であれお使いを頼まれる生徒もいたり、あまり親しくなりすぎてはいけないラインのようなものがあります。生徒は先生から信用されておらず、一方生徒も先生に対して線を引いている。これは私の勤める職業訓練校ならではのことなのでしょうか?

こちらも当たり前ですね。
友人・知人>他人

ただ、この概念が私達日本人とは大分違うように感じます。なぜならマリは多民族国家。他人が信用できないのは民族が違う可能性もあり、それぞれの考え方や教育などのバックグラウンドが違うため、より大きくこの優先順位に差がつくのかもしれません。
友人であれば当然のようにいろんなことを無償で手伝います。しかし他人はお金を先に出すくらいでないとなかなか仕事も進みませんし、信用もしていないからあいつらに近づくな、財布はしっかりと持って鞄にも気をつけて、とその信用の低さは半端ありません。

如何でしょうか。
ある意味では日本と比較した場合に昭和中期までの日本の印象が近いかもしれません。もちろん私はその時代に生きていませんが、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の世界観ですね。TVも街角にあるものにみんなが群がり、一緒にサッカー観戦をする、というところなども。

今日本では、何が優先されているのでしょうか。

ふっと思うと優先も何も無く、そこには他人・他者に対して無関心な社会があるような気がします。
遠くマリから思う、日本人の価値観ってなんて人間味が無いのだろうか、と。